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【前編(理念 経歴編)】
「パートナープロファイリング協会代表・デザイナー、田んぼプロジェクト主宰とさまざまな顔を持つ(株)モンテキーヨの佐々木大介さん そこに流れる共通理念を語る」

2019.10.01

 

小中学校時代はいじめられっ子、大学時代にはリア充、卒業後はブラック企業、そして起業へ…と様々な経験と経歴を持つ佐々木大介さん。現在はその集大成としてパートナープロファイリング協会を立ち上げ、企業研修にも取り組んでいる。業態は変われど見つめ続けていた目線は同じ… 何を見てきたのか? その中心を語る。

佐々木 大介 - Sasaki Daisuke

パートナープロファイリング協会 代表
株式会社モンテキーヨ 代表取締役

「『僕は何もない』っていう人に限って何かあるんですよ。誰もが持っているはずの主体性。それを育てるのが、僕の使命やなと思っています」

~ 人生理念「関わる人すべての主体性の発展を約束する」 ~

インタビュー1

「ワンマン経営の社長とそこで働くビジネスマン達の悲哀みたいなんは、僕は理解してるつもりですね」

~ 【経歴】いじめられっ子 リア充な大学時代 ザ・ブラック企業 ~

インタビュー2

「『目的は何か』っていう師匠の言葉、あれが僕の一生を決めました」

~ 【経歴】みちのく1人旅 ウェブコンテンツ会社 起業 ~

インタビュー3

「『僕は何もない』っていう人に限って何かあるんですよ。誰もが持っているはずの主体性。主体性を育てるのが、僕の使命やなと思っています」

~ 人生理念「関わる人すべての主体性の発展を約束する」 ~

佐々木 大介です。株式会社モンテキーヨという会社を経営しています。事業はグラフィックからwebまでさまざまなデザインとパートナープロファイリング協会という、 脳科学と心理学、東洋の学問である六十干支、この3つをかけ合わせた人間関係学を個人や企業に提供している協会の代表であり講師をしています。両方とも「関わる人すべての主体性の発展を約束する」っていう僕の人生理念に基づいています。

  ───  理念が大切なんですね。その中で「主体性の発展」ってどういうことですか?

主体性の定義は「いかなる条件下においても自分自身の価値基準で判断して行動する」なんですよね。「自分で判断して自分で動く」ここまでを主体性っていうんですよ。

  ───  「自分で判断して自分で動く」こと?

動くから「体」っていう文字が入っているんですよ。アクションが入るから。

僕は昔から色んな後輩から相談受けるんですよね。ビジネスマン時代は複数部下もいましたし。でもできない部下や後輩に限って、指示待ちなんですよ。 できる人間は主体性があるから「こうしようと思いますけど先輩どう思いますか」って言う。僕、この差はおっきいなと思ってて。主体性の反対は指示待ちの人間なんですよね。 でも指示待ちの人間もみんな主体性につながる内なる欲求を絶対もってるんですよ。全員。「僕は何もない」っていう子に限って何か持ってるんですよ。そのちっさなちっさな主体性を育てるのが、僕の使命かなと思っていますね。

  ───  じゃあ発展っていうのは?

僕はいろんな相談をしてくれる人たちの親でもなければ王様でもないんですよね。僕も一人の人間なので、生きていくのは彼ら自身、自分で自活していってもらわないと、依存されると友達でずっといれないんですよね。 僕の一番好きな言葉があって、互師互弟っていって、互いに師匠、互いに弟子っていう言葉があるんですけど、僕は大人の友情っていうのはそうあってほしいと思っているんです。 そうなってくると、それぞれが主体性を持ってないと。それぞれが主体性を持っていると、信頼できるから、その人のだらしない面も許容できるようになってくるんですよ。「仕方がないよね」「そういう時もあるよね」って。 普段バリバリやってるやつが今さぼってたとしても、チクチク言わなくなるんですよね。「今はさぼってんだろうな」みたいな。

  ───  そういう主体性を持っている人が増えることが主体性の発展なんですか?

その人の主体性を「促す」ことですね。それぞれ関わる人たちのちっちゃな主体性。ちっちゃな芽がある人は育てればいい。「ない」っていう人もいるんです。でも絶対にあるんですよ。やりたい事がないっていう人がやりたい事を見つける考え方があるんですよね。

話しは少し変わりますが、大学で年に1回授業させてもらってるんですね。その時に「丸腰の夢なんて叶わないよ」って話をしています。「でも目標は達成するためにある」そんな話もさせてもらっています。 「今の君たちは夢の作り方を教えてもらっていない。僕たちもそうだった。この国って高校出たら、おじさんおばさんは言うよね。『若いのに夢はないのか』って。 あるわけないよね」「枠にはめられて、校則だからって怒られて。だからといって世の中が悪い、社会が悪いって言っても意味がないから。じゃあ夢を作る考え方をおじさんが教えてあげるね」っていう授業をしています。 「丸腰の夢は叶わない。でも論理的思考の上で作られた夢は目標だから。自分で決めた目標はいつか達成できるよ」って。

  ───  そういう授業をすることも主体性の発展につながるのですね。次は「約束する」っていうのは?例えば「発展させます」ではないんですよね。

「させます」ってなると主体性ではないですからね。「主体性を伸ばします」もマウントだし、あくまでも横でいたい。だから「約束する」なんです。

あと誤解がないように言っておくと、あえて受け身を選択している人間は面白いんですよ。「自分は指示待ちでいいんだ」っていう。こういう子たちは心が荒まないんですよ。例えば僕の大親友の1人は、普通のシステムエンジニアなんですよ。 バリッバリのサラリーマン。給料も「上がりもせん下がりもせん」と本人も言ってます。でも土日は徹底的に遊んでるんですよ。土曜はフットサルと釣り、日曜は奥さんとデート。 月金は6時まで仕事して、奥さんは8時くらいに帰ってくるので料理して待っている。始めに会ったときは「起業家とか社長って言われる人はなんかみんな悪いんじゃないかってイメージが有る」って変にバイアスかかってた。 それから色んな人の生き方見ていくうちに「みんな色々悩んでるんだ」と思ったと。社長だからといって、潤沢にお金持ってるわけじゃないし、遊んでるわけじゃない。「世間が狭かった」と本人が言って。 「俺なりに出した答えが、月金は全力でサラリーマンをする。で週末は全力でプライベートを充実させる」って。これ僕はめちゃくちゃ格好いいと思ってるんですよ。僕みたいに自分で会社やってると、土日がない事もまあまああるんですよね。 「かわいそうや」って言ってくれます。普通は今の時代背景からいったら、起業してる人間がうらやましがられて、サラリーマンしている人間がかわいそうだって言われる風潮の中で、彼は僕をいい意味で大変やなって言ってくれるんです。 すごい嬉しいし、それを僕は主体性を持った受け身というか。

  ───  選んでるわけですね。

そうです。ちゃんと自分で選んで、自分で動いてるってことなんです。こんな風に主体性を持つとね、人を恨んだりねたまなくなるんですよ。その感情が出たときに受け入れられるんですよね。 俺は今あいつにただ嫉妬してるって。それは絶対にポジティブに自分に作用するんで。もう主体性がベースにないとどんな自己啓発受けても無駄でしょうね。

  ───  もう一つ、現在は事業ではないものもされているんですよね?

田んぼプロジェクトですね。あれは、もともとパートナ―プロファイリング協会の前身となった夫婦間や男女間をよくしていくオンラインサロンから派生しています。 昔から僕は一緒に仕事するというシェア型の体験が人と人が分かり合える最短のツールやと思っていたんです。じゃあどうせするんだったらBBQとかイベントもいいけども、一次産業をしようと。 あれは人間性がもろに出るんで。例えばドギャルみたいな女の子がすごい甲斐甲斐しいとか、商社マンでバリバリ、リア充の男が虫アカンかったりするんで、そういう活動したいなと。 たまたま2019年の1月に、ある女性と出会ったんですね。その子が話すんですよね。堺で6年間耕作放棄地になっている田んぼを持っていると。 「実は佐々木さん、田んぼを何とかしたいなと思ってて、なんかいいアイデアないかな?」って話していた時に「我々としては営利目的でやってないのでマネタイズできないんです。 お金も払えないし土地代も払えない」っていう話もさせてもらったんですよ。でも彼女は「むしろ営利目的じゃない人に手伝ってほしかったから」っていうので始まったんですよ。 僕、モンテキーヨの佐々木とうちが顧問している居酒屋オーナーとそこのスタッフ、インターナショナル保育園のオーナー、あと自然栽培の野菜のディーラーさんをしている人、それに田んぼのオーナーをしている女性の6名でやってるんです。 最高の仲間達です。それぞれみんな事業を営んでいる人間で「知る」ということを大切に活動しています。

  ───  知る?

はい。今中途半端に農業をかじると従来の農薬バンバン使ってる農業、あれを悪とみなす風潮があるんですが。でも時代背景とか、日本の当時の世相とか、農家さんのリテラシーであったり、政府がしたこととか知っていくと、一概に昔の生産者さんを僕は責められないと思うんですよね。 だって知らないだもんっていう。むしろいいと思ってやってるんだし。実際に農業に従事すれば分かることがあって。僕らは非営利でしかもちっちゃいスペースを5人6人、イベントだったら20人ぐらい来てくれるから農薬も使わずにできるけど、こんなんじいちゃんばあちゃんだけで何反っていう土地を持ったらね。 そら薬品使わな無理ですっていう話なんですよ。でも今健康ブームで、農薬使った野菜がダメって言われるじゃないですか。それが僕は悲しいなって。そんなんも伝えていけたらなって。でも多分最終的にあれは事業になっていくでしょうね。

  ───  マネタイズができていくんですか?

堺とはいえ耕作地域なんですよね。兼業農家さんも周りにいっぱいいて。僕らが無農薬でやっていると、彼らは物心ついた頃から農薬づけの農業しか知らないので「どうせ無理だよ」って、偉そうじゃなく善意で「大丈夫かいな」って感じで見てくるんですよ。 ところが稲がどんどん育ってくるんですね。僕らも手探りでやりながら。その田んぼ持ってる女性がね、地主がらみのつながりもあって、じいさんらと仲良くしてくれるんですよ。そしたらみんな悩みがあるんです。 兼業農家ゆえの悩みであったりとか、「販路も自分たちで作っていきたい」とか。じゃあ「道の駅作ってもいいよね」みたいな話になってて。とりあえず僕らは3年やろうとしてるんですよ。 その間にいい意味で地域の環境や食環境が変わっていくと思うんですよね。そこでビジネスチャンスが出てくるかなって思っていますね。

  ───  今後そんなチャンスが巡ってくるんですね

そうですね。でも今は趣味ですよ。ただ色んな人が参加してくれるんですよね。ホームページもあってそこに難しいことは書いているけど「とにかくおいでよ」って思います。

「ワンマン経営の社長とそこで働くビジネスマン達の悲哀みたいなんは、僕は理解してるつもりですね」

~ 【経歴】いじめられっ子 リア充な大学時代 ザ・ブラック企業 ~

  ───  ではどういう風に今の業態に至ったのか。経歴を教えて頂けたらと思います。

僕は中3までいじめられっ子だったんです。殴られるし、ハブられるし、典型的ないじめられっ子ですよね。いつも一人。何もかもが嫌になって、15歳の僕はいじめてる子らを「殺したろう」と思って隠れてるんですよね。 塾帰りに。でも結局ビビりやから何にもできなくって。情けなくなって、家帰ってカーテンレールにベルトたらして首つるんですよ。でもカーテンレールが曲がって落ちて、結局死ねなくって、そっから学校に行かなくなって。

勉強はそこそこできたんです。それもあって学校の先生には「私立に行ったらよろしい」みたいなことを言われるんですよ。要は来るなってことなんです。来ると迷惑ってことなんですよ。問題児だから。 絶望しかなかったですね。そんなこんなで高校は進学校に入るんですけどね。で、高校の時は勉強せずにサッカーばっかりしてて。大学は中学校の時のお釣りで入れます。農学部なんですけどね。進学校なので東大とか皆行く学校なんですよ。 関西やったら普通の大学なんですけど、僕のいた高校からしたらはぁ?ていうレベルの学校なんですよね。その頃から僕のコンプレックス人生が始まるわけです。もうそん時は全て何かのせいにしてますから。 それこそ承認欲求もあるから目立ちたい部分もあって。で僕ろくすっぽ受験勉強せずに大学入ってるからプライドだけは高くて、ここで何をするかっていうたら、舞台俳優の養成所に行くんですね。 とにかく周りと違う特別な何かになりたかったんですよね。若いから。でも中途半端なんですよ。実はスーパー歌舞伎に出たりとかするんですけど、これもすごいことでもなんでもなくって、チャンバラができて、 自分でメイクができて、カツラ付けれたら誰でも出来る仕事なんですよ。表現者ではないんですよね。

  ───  スーパー歌舞伎ってあの有名な?

市川猿之助さんとかね。で、結局その時に、藤原竜也と松田優作の息子の松田龍平がデビューしたのを見て、こっちは大阪にいて本気でやってないし、圧倒的な差を見る訳なんですよね。イカンと思って、家に帰って「大学戻らせてくれ」と。親に頭下げるんです。

  ───  一回大学を休学してたんですね。

はい。休学してました。最後やめたろうと思ってたんです。若いからアホなんですよね。結局父親が「大卒の紙切れ一枚がお前の人生の役立つことはあっても損になることはないから出なさい」っていう話になって。 でも全然学校行ってなかったんで、1年休学して2年留年するっていうトータルで7年行くことになるんですよね。まあ、7年行ったことが、当時の大学の恩師と今とのつながりになって、今こうして授業する縁にはなってるんですけどね。 でその後、いわゆる中小企業の金属加工メーカーに入ります。

  ───  15歳と高校大学で、キャラクターが違いますね。

そうですね。コンプレックスの塊で、身体も小さかったんですけど、なんせいじめられてた頃のぶり返しでちょっとやんちゃにもなりますし。

  ───  一気に逆側に振り切ったみたいな。それは高校入って?

高校入ると僕から見ても学園ヒエラレルキーの下の連中なんですよ。進学校なんで。僕がダンゴムシやとしたら、全エリアからダンゴムシばっかり来てるわけですよ。 ここやったらやっていけるなって思いつつも、同じ中学の出身のやつらから、ダンゴムシがダンゴムシにやかってくるわけですよ。だからダンゴムシ同士のけんかが始まるわけですよね。上では、ライオンやらがいる中でね。

  ───  どうなったんですか?

勝ちました。間違った成功体験をしてしまったんですよ。

  ───  でもその経験も大事なんですね。

大学に入って、色んな地方からの友達もできたときが、多様性に触れた始まりかもしれないですね。

こうやって確かに振り返ってみると確実にステップ踏んでますね。僕後輩から、特に、いわゆる陰キャといわれる人に対して慕われるんですけど。

  ───  陰キャ?

暗い人です。陽キャ(陽性のキャラクター)陰キャ(陰性のキャラクター)ウチの周りにも暗いやつとかもいるんですよ。そいつらが僕を慕ってくれるっていうのは、僕が弱いものいじめをしないからなんですよ。 それに陰キャはおもろいんですよ。ほじくっていくと。どす黒い事考えてたりするんで。「悪いなお前。そらそうでしょうよ。でもそれでいいんだよ」ってね。

で、まあその後、普通に就職するんですよ。親父のコネで。ここが僕の人生をガラッと変えました。9年間のサラリーマン生活が。そこはもう絵にかいたような日本の中小企業なんですよ。

  ───  さっき言われていた金属加工メーカー?

典型的な創業社長がいて、社長の息子がいて、社長の義理の弟がいて、工場があって営業部があって、一応メーカーなんで。で、文化が社会主義国なんです。将軍様がいるわけですよ。 ウチの父親は一部上場企業の代表にまでなった偉い人なんです。それで僕が行った会社とウチの父親がたまたま同郷で大人になってから友達になって。 僕の行った会社の社長からしてみたら、一部上場企業の社長の大卒の息子がわが社に入ってくるぞと、鳴り物入りで入ってくるんですよ。ザ中小企業なんですよね。 でも僕大学を卒業するのに7年かかってるんですよ。そんな僕ですらね。輝かしいプリンスが来たみたいな感じなんですよ。で、会社入って、この時はまだプライド高いんですよ。「俺まだ本気出してない」ぐらいの感覚なんですよね。

である日気づくんです。「あれ?俺この会社におるっていうことは、社会の俺に対する評価ってこれか」っていうことに。ホームレスがまだその辺にいた時代なんですけど、あれ見て馬鹿にできなくなったんです。 僕はそれ以降ホームレスを見たら先輩と呼ぶことにしてるんですよ(笑)その時は実家暮らしやったんですけど、実家の両親が死んで、僕が会社で失敗して首にでもなったら「俺ホームレスなるな」って思ったんですよ。 やばいって思って焦ってくるんですよ。それで1人前になるのに3年かかると言われた金属加工の業界で、僕3カ月で1人立ちするんです。圧倒的に成績上げるしかないと思って、僕はモノづくりの勉強を営業マンなのにするんですよ。そうすると現場の彼らも急に心開いてくれるんですよね。

そして、2004年の3月に僕にとって人生の衝撃な出会い、僕の人生の師匠が現れるんですよ。ある家電メーカーを早めに辞めて、仕入れ先のマレーシア工場の社長をしてた人がウチの会社の顧問として現れるんです。 僕は1年経って辞めようと思ってたんですけどね。その人と出会って「この人面白そうやな」と思ったんです。その人が今の僕を作った。主体性なんていうのはその人から学んだと思うんですよ。 いっぱいエピソードがありますけどね。その人と最後6年間、一緒に仕事しましたね。

  ───  一番のエピソードは?

社会主義国の中でも、僕は仕事も頑張ったし結果も出してたんで可愛がられるんですよ。僕が行くとみんなが明るくなって、会社の雰囲気が良くなっていうのがあって。そしたら僕が天狗になるんですよね。 である日、ある仕入先さん、いわゆる下請けと言われる業者が、納期の不具合を出して、僕が電話でぶち切れるんですよ。偉そうに。26,7歳の若造がね。電話で言うてるんですよ。そしたら怒鳴り散らした相手が、そこの社長の妹なんですよ。 でそこの社長がね、20分後に怒鳴り込んできたんですよ。「佐々木出せ」って言って。そしたらウチの師匠がね、顧問ですけど上司として一緒に来るわけなんですよ。僕にしたら大義はこっちにあるから、「一緒に怒ってくれるんかな」って思ってたら、まず頭下げはったんですよ。 「ウチの佐々木が非常に無礼な態度をとったみたいで申し訳なかったです」と。怒鳴り込んできた社長も何も言えない。「〜さんが頭下げてくれたから帰るけど、佐々木さんな、お前なんぼ仕事できて頭ええんか知らんけどな、人間やぞ、みんな」って言われて。 「伝わるもんも伝わらんぞ」「あとは任せるわ」って帰っていって。こっちからしたらわけ分からんですよ。立場は会社としてこっちの方が上やし、悪いのは先方だし、なんで師匠が頭下げてるのか当時の僕にはわからないんですよね。

それから、僕、喫煙室に呼ばれて「あのな」って。だいたい師匠が「あのな」って言う時ヤバいんですよ。「はい」って言うて。「何で腹立つんや」って。「いやレベルが低いから」「分かるよ、相手のレベルが低いから腹を立てるんだろ。 でもそれに対して同じような形で対応してたら、お前のレベルも低いってことやろ。目的は何だ」って言われたんですよ。「この仕事におけるお前の目的。お前の仕事はいいものを適正な価格で、きっちりと納期通りにお客様に届けることやろ。 下請けを腐すことがお前の仕事か?」って。「違うやろ」。そういうことを言われて、まあ頭を殴られた気分ですよ。「目的は何だ」って言われたときに「これ本質やな」って思って。

僕当時そんなんやったんで、購買っていう物買う部署が横にあるんですが。彼らは仕入先に対して偉そうなんですよね言い方が。で、とある材料の商社がトラブルを起こすんですが。僕に購買部の人が「大ちゃん、ちょっとガツン言ったってくれる?」って言うんです。 その時僕課長やったんですが、当時はもうイケイケなんで、佐々木に頼んだらどこでも喧嘩してくれるって思われて。でも僕は「もう社内外共にケンカすること辞めたんです」ってその人に言ったとき、フッと奥の師匠を見たらニヤニヤしてたんです。 まあうまい事転がらされたけど、気持ちのいい転がされ方をしましたよね。それが一番強烈なエピソードですね。

でね、ここで、物を作る場所で、物は嘘つかへんなっていうのをホンマに感じたんですよ。人間は嘘つくけど、物は嘘つかへん。品質で問題があった時は絶対にどっかに原因がある。 だから僕はそん時に色んな大手のお客さんのところにアポとって営業とって、交渉がまとまりそうになると絶対に自社の工場に連れて行ってたんですよ。「僕ら営業の人間なんでいい事しか言いません。 でも物作りって嘘つけないんで工場来てください」って。そういう売り込みのされ方されたことないみたいで、「正直でいいよね」ってみんな言ってくれて。お客さんも「工場の実力で判断します」って。 だから工場にも言うんですよ。それまでは営業が仕事をとってくるみたいな。よくありがちなんですよね、中小企業では。でもそれは「違う」って言って。会社全体で受注をして、会社全体で生産をして、会社全体で売るんだっていう文化を作れたのは大きかったですね。

  ───  社会主義国家って言ってたじゃないですか。それが変わったんですね。

そうですね、変わったというか「社会主義でいいやん」って。そして「社長元気で留守がいい」がええやないかって。昔は従業員の人間性がひどい時期があって、物やお金が盗まれたりとかあって。 だからこそもう徹底的に管理するしかなかったそうなんですね。「そんな人間ばっかりの時代やったってことは分かってくれ」「おっしゃってることは分かります」と「ただ昔と社長、今違うから」って。 「今あいつらそんなことないんで、育てましょう」みたいな話はしましたね。「わしどうしたらええんや」って言うから「現場行って従業員の身体触って、ご苦労さん、ありがとうって言うだけでいいです」って。 僕ね、社長尊敬してたんですよ。めちゃくちゃやったけど、「殿、ご乱心を」の世界やったけど、おもろかったんですよ、僕からしたら。けど2011年の震災があって、自分の生き方を考え直そうと思って。 どうしてもクリエイティブな仕事をしたかった僕に気づくんですよね。その時。

父親が一部上場企業の商社マンで偉い人で社長にもなって、幼少の頃から華やかな世界を見てて。僕は華やかな世界はそんなに好きじゃない、というかむしろ苦手なんですけど、だからといって、当時の自分に納得もしていない。 強烈やったんがある家電メーカーで品位がなくてあんまり好きじゃない会社があるんですよ。そんな会社でも震災の時にテレビを1万5千台とか寄付してるんですよ。ウチの会社は何もしてない。むしろビジネスチャンスやぐらいの感じなんですよね。 そん時に僕の中で「長くはないな」と思って。で2012年になった時に、ベトナムの工場の社長の打診が来るんですよ。水面下で。他の役員からも言われるんですよ。「これ受けたらいよいよ辞められへんな」と思って辞めました。でもね、他にも色んな複数の要因があって辞めるんです。

一番強烈なきっかけになったのは、2012年の3月ですね。それこそ5,6年前に僕が採用した子。うちの会社って奄美大島からずっととる時期があったんですよ。社長が奄美に知り合いがおるからって。 でまあ、2年くらい僕が採用担当したことがあって、その時に僕が採用した女の子がね、現場の子で会社の寮に住んでるんですよ。会社から1kmほど離れた会社が持ってるマンションにね。 工場と家とを行ったり来たりの生活の中で、上司を連れて社長室に来るんですよ。その子が「京都で仲居さんの修業をしたいから辞めさせてください」って。社長にしたら現場の代えはなんぼでもおるから「おお、良かった、頑張れよ」って。 それを見たときに僕はもう「すごいわ、この子、生きてるな」って思ったんですよ。会社と寮の往復の中で、電車に乗ったこともないような子ですよ、高卒で。奄美におったから。そんな子が給料、手取りで14万ぐらいなんですよね。 それでどっかのコミュニティに多分入って、自分で友達作って、自分で新しい仕事見つけてる。その姿を見たときに「俺全然こいつに負けてるわ」って。最後のトリガーはそれでしたね。 あと、震災きっかけでごまかしてたものを全部見るようにしたんですよ。「生きるってなんだ」って。別に僕の親しい人が死んだとかないんですよ、震災では。だけども思う所があって。 そこから会社と交渉して、4か月後の7月20日に辞めて、僕はその後、キャンプ好きやったんで、車でみちのく1人旅に出るんですよ。2週間の。

  ───  仕事自体は…

もう順調でしたし。会社も順調でしたし。取引先さん、パナソニックさんとかトヨタさんとかにも可愛がられてましたし。そんな時代やったんですよ。僕は前向きに辞めることを脱北するって言っていましたけどね。 まさか僕が脱北する羽目になるとは思わなかったですけどね。面白いですよ。社長が右向け言うたら右向きますから。それも社長の愛情なんですよ。愛情をもって「あいつらバカだからこうせなアカン」って。 「こんぐらいの給料払とったら生活できるやろ」みたいな。それは従業員側からしたら飼い殺しやったりするんですよね。やってもやらんくても給料同じやったらやらんくなるじゃないですか。人って。 だから、ねえ、そういうワンマン経営の社長の悲哀みたいなんは、僕は理解してるつもりですね。そういう所で勤めてるビジネスマンの悲哀も分かりますね。

  ───  そこに決めて入ってたっていう人はいないんですかね。さっきの知り合いの方の、主体的な受け身は素敵じゃないですか。

あのね、やっぱり、その頃は僕も今ほど伝えるすべを持ってないし、みんな「ただの」受け身でしたね。全員。だから僕辞めて2年後に会社作ってるんですけど、2年経って挨拶に行ったんですよ。時間は止まってましたね。 いい奴らなんですよ。僕が行ったらね、みんなワーって来るんですよ。「部長、部長」言うて。「いや社長や、今」(笑) でも変わってない。しわが増えただけ。でもこれはこれで一つの宇宙やなってそん時思ったんですよ。 その人たちに対して「変わりなよ」っていうのは暴力なんですよ。そん中にいる「変わりたい」っていう奴に対しては、発展をさせることは約束するよっていう話なんですよ。

「『目的は何か』っていう師匠の言葉、あれが僕の一生を決めました」

~ 【経歴】みちのく1人旅 ウェブコンテンツ会社 起業 ~

  ───  ちょっと戻って、2週間みちのく1人旅されたじゃないですか。車で?

車なんですけど、名古屋まで車で行って、そっから仙台まで車ごとフェリーに乗るんですよ。で、反時計回りにグルーっと回って、いろんな人ともお話もしましたね。強烈だったのが2人ぐらいいらっしゃって。 一人は、宮城です。仙台のガソリンスタンドです。もう思いっきり津波来てる所ですよ。で僕は、別にボランティアをするような人間じゃないし、だからと言って怖いもの見たさを見に行ったわけでもないんですよ。 ただ僕は東日本の震災の時に、自分の中ですごいよくわからん感情が出てきたんで、それを確認しに行ったんですね。自分のために行ったんです。

そんな中ガソリンスタンドでガソリン入れてるとね。「あの、堺ナンバーって大阪ですか?」って声かけられたんですよ。でパッと領収書見たらその人の名前なんでしょうね。「佐々木」って書いてあったんですよ。 「これ縁やな」と思って、「僕も佐々木っていうんです。今ちょっと旅をしてて」って。ほんならそこの社長さんがね「ちょっとお時間あったらしゃべりませんか」って言うてくれて。 そこで車泊めて、缶コーヒー飲みながら、しゃべってたんです。その人は息子さんと奥さんと犬が流されて死んじゃったけど「自然災害に関しては、人間は力を合わせて戦える。 でも、人に殺されるとかは、恨みを持って生きようがないから」って言ってましたね。「津波で愛する人たちをなくしたっていうことは、僕はまだ幸せなのかもしれない」っておっしゃってて。 「これが例えば病気であったりとか、ましてや誰かに殺されたりとかであったら、どこにも気持ちを持っていけなかったけど」って言って。連絡先の交換しなかったんですよ。 「生きてたらまたいつか会えるかもしれませんよね」って言って。ていう人が1人。

で最後の日ですね。しんどかったからホテル泊まったんですよ。そしたら僕船の日間違ってて、1日早めに仙台ついてもうたんですよ。だからホテルの隣の居酒屋で飲んでたら、隣の席でわちゃわちゃしてるんですよね。 若いあんちゃんと女の子と、ちょっと年上のお姉さんと。なんや言い合いしてて、要はその年上のお姉さんが不倫をしてると、あんまりキレイじゃないのに(笑)。あんちゃんが「ブスが不倫するな」みたいなことを言うてるんですよ。 そのあんちゃんと女の子がね。「ねえ、お兄さんどう思います?」って言われて「俺?」と思って。ちょっと仲良くなったら、その男の子の方が仙台空港の通関士の子なんですよ。で出身が愛知県なんですって。 そこから震災の話になるんですよ。そん時にひくぐらい死体見たらしいんですよ。空港のビルにいるから、こっちは安全ですと。津波が一波二波三波って来て。で次の日の朝、波がひいて歩いている時に、死体もいっぱい見て。 最初は拝んでたんですって。でもきりないって。もう何百もあるから。店で隣にいたの女の子が奥さんなんですけどね。そん時に付き合って数か月やったらしいんですけど、もう「すぐこの子と結婚しようと思った」って。 ホンマは通関士って、転勤族なんですって。でも給料下がるけど地元採用やったらずっとおれるんですと。で「僕は、この土地で地震の災害のあとに生きてるっていうのはもう、生かされてると思うから、ここの仙台で一生を暮らそうと思うんです」って。 「そういうのもあって今がありました」ってね。でね、そんな話をしてる時にね「このブスがね」って言って。いやいや幸せじゃないですかって(笑)

  ───  わけわからん感情が出てきますね。

人間って面白いなって。「ブスなんですよ」って。なんちゅう事言うねんとか思ったんですが、めっちゃおもろくて。ずっとそのあんちゃんが「不倫なんかしてんなよ」ってそのお姉さんに言ってまして。 結局その男の子と奥さんと、翌日、南相馬の原発のギリギリのところまで連れていってもらいましたよ。「行ける所まで行こう」って言って。行きましたね。「行ってよかったな」って思いましたね。

  ───  濃厚な2週間でしたね。

ですね。なかなか見つめ直すいい2週間になりましたね。そん時に、ウェブコンテンツ屋さんのFacebookページを見るんですよ。僕がずっと好きな会社があって。面白いコンテンツを世の中にバンバン出してて。 そこがね、僕が恐山でテントの中おるときに、朝起きて携帯でFacebookチェックしたら、業務多忙につきスタッフ募集って書いてるんですよ。どうせ東京だろうなと思ったら大阪だったんですよ。 で、どうせ若手だろうなと思ったら35歳までいけたんですよ。僕当時35歳やったんですよ。すぐメッセージ入れて、「ただ、今ちょっと旅をしてて、あと1週間せんうちに帰るんで、それまで待ってもらえますか」って言ったら「待ちますよ」って言ってくれたんです。 で帰ってから面接行って、試験受けて通って、面接受けて通って、社長面接受けて通ったんです。そこはFacebookプロモーションとか手掛けている会社で日本一だったんですよ。

  ───  どんな会社だったんですか?

企画がなんせ面白くて。例えばね、昔Facebookで、指の長さで、男性脳か女性脳か分かるっていうのが流行ったんですよ。あれ作ったの僕なんですよ。当時ね、企業がFacebookの「いいね」を欲しがったときってありますよね。 僕らは、この質問を知りたければこのページに「いいね」を押さなければ答え見れませんよっていう仕組みを世界で初めてリリースしたんですよ。いわゆる診断コンテンツってやつのはしりです。

  ───  集客につながるコンテンツを作ってたんですね。

そうです。そしてこん時に心理学をかじりだしてるんですよね。SNSにおいてどうやったら人が動くかっていう。あと、この会社入る時に「フォトショプ使えますか」って言われて、使われへんのに「使えます」って言いました。 社長は「使われへんと思った」って言ってました。あそこで堂々と「使えます」っていう佐々木君が面白かったって。こいつは最悪営業で使えるなって思ったって言ってました。 「使えます」って言ったもんやからね、必死で覚えましたよ。専門学校生が2年かかって覚えるやつを3カ月で覚えるっていう(笑)

  ───  この中では面白いコンテンツを作るのがメインの仕事だったんですか?

はい、あとここでも金属加工メーカーで培った社内の人事マネジメントが役に立つんですよ。みんな社長の前でええかっこするんで。そんなんせんでもええようにしたろうと思って。

  ───  そんなんできるんですか。

僕合わせて6人の会社やったんですけど、いっこ上の先輩が意地悪ばっかりしてくるんですよ。こいつはね、社長にはうまいんですよ。 僕まだね3週間ぐらいの時にええ加減に腹立って「あのさあ、俺今お試し期間中やから。ここで暴れてお前つぶすことができんねんぞ」って言うたことがあるんですよ。そこから大人しくなって(笑)

  ───  そんな技を使うんですか(笑)

お試し期間の1カ月が終わって、社長とご飯食べに行くんですよね。社長年下なんですけどね。「佐々木君どう?」「いや楽しいですよ」って、やっぱり創業から半年後に入ってるから「気になったことを教えてくれ」ってなってその先輩のことを話したんですよ。 彼は社長の前と僕らの前ではしゃべってることが違う。「実は僕先週こういうことをやらかしてます」って言ったら、別の人間から報告受けてたらしいんですよ。俺も薄々感じててんけど、言ってくれてありがとうみたいな。そっからもう、いい感じでしたよね。

  ───  その手法はダンゴムシじゃないですよね。

その頃は技法を色々ね。克服してますからね。だってね、会社の中ですごい賢いやつらがいっぱいいる中で、それこそ師匠に言われたことですよ、「目的は何だ」の話ですよ。 他にできる人間がいっぱいいる中で、そいつがしゃべるのだけが上手い、ごまするのが上手いだけで生産性が下がってるわけですよ。クオリティも落ちてるわけですよ。誰も得しないでしょ。 自分よりできる人がいる中で、そいつら上げた方がトータルでいいに決まってるのに、これ別に平等主義じゃないんですよ、究極の実力主義なんですよ、僕にしたら。本質は何か、目的は何かっていう師匠の言葉、あれが僕の一生を決めましたね。

  ───  キャラクターも大きく変化していきますね。

今でこそこういうパートナープロファイリングを立ち上げて、知り合いのメディアにもいっぱい出てるじゃないですか。でも42歳にしてやっとですね。表に出れるようになったのが。 やっぱり怖かったんですよ。ついこないだまで、いじめられっ子やったっていうトラウマあるんで。けど、いよいよこうやって会社も作った。心を扱う協会も作った。 これを広めていくためには僕が看板にならないと、結局寝言になっちゃう。今さっきね、キャラがどんどん成長しているっておっしゃってくれましたけども、確かに、15歳の頃からは飛躍したかもしれないですけど、まだまだやってることを全然伝えれられてないです。

  ───  目指すところがあるんですね。

有名人になりたいとか役者時代に思ってたんですよ。でもこうやってパートナープロファイリング協会っていうものができたり、主体性の発展を約束するっていう確固たる自分の目的、哲学ができたってことは、別に有名人にならなくてもいいんです。 ただ、出ないと注目を浴びてもらえない。そっちに変わってますよね。

  ───  じゃあ、ウェブコンテンツ屋さんから独立ですよね。その流れを教えて下さい。

会社が出資の問題で社長が更迭されてしまったんですよ。会社自体がなくなってしまって、さあ就職しようかどうかって思ってたんですけど、僕を含めた当時の役員3人で会社を作ったんですよ。 その時は、ウェブのマーケティング会社でした。そしてその1年後にモンテキーヨっていう風に屋号を変えます。

  ───  それは1人で?

1人。で、今のスタイルになります。3年目の時に、飲食店舗向けのSNSを開発をしていたんですがその途中で、企業の人事コンサルしている心理学の先生に出会うんです。 その先生から「佐々木さんの視座っていうのはすごく高くて社会貢献性が強くて個人的には応援したい」って言ってもらえて。そしたら先生が色んなデザインの仕事を発注してくれて、そこから色んなノウハウ聞くようになって。 「僕大学で授業やってるんです」って言ってたら「それちょっと見せて」って見せたら「一緒にやろう」って言ってくれて、協会が立ち上がったんです。

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