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【前編】
20代の代表が経営するパーソナルジムでありながら、来年は次の店舗として24時間ジムを立ち上げるO-en fitness。 代表が「決めた」という表現で語る明確なヴィジョンとジムを設立までのストーリー、そしてパーソナルジム業界の問題を解決することを目指したO-en fitnessの理念とは?

2019.08.30

 

中川 優希 - Nakagawa Yuuki

O-en fitness 代表

「人生で重要視しているのは、どれだけ自分がやりたいと思ったことを行動できるか」

~ これからやりたい いくつかの事業 ~

インタビュー1

「一番学んだのは『自分ものすごい恵まれていた』こと」

~ スナフキンのように旅をする ~

インタビュー2

「ちょっとでも間あけたら負けやと思ってすぐ言いました。『願ったり叶ったりです』って」

~ 経営者の師匠との出会い ~

インタビュー3

「人生で重要視しているのは、どれだけ自分がやりたいと思ったことを行動できるか」

~ これからやりたい いくつかの事業 ~

  ───  自己紹介をお願いします。

中川優希です。北堀江でパーソナルジムを経営しながら、経営コンサルもやっていて、経営を始めたい方に経営を教えています。あとは自分の将来のビジョンにYouTubeは最適やなと思っていて、自分個人をどんどん発信していっています。

  ───  盛りだくさんですね。パーソナルジムの経営ではトレーナーとして教えることもしているんですか?

経営のみですね。トレーナーたちがインフルエンザになったりとか急遽来れない時の代わりにはしています。ただ、うちのトレーナーの知識のレベルは高いところでキープしてもらっているんで基本は任せています。

  ───  コンサルについてはどういった内容ですか?

コンサルについては、個人で将来的に経営したい子に経営がどういったことかを教えているんです。その中で最近、鶴橋の方でタピオカ屋さんを出したいっていう子がいて。その子に店出すまでの準備であったり、出してからどういうことに気を付けていったらいいかとかを週1ペースで教えています。

  ───  どんなことを教えているんですか?

例えば開店準備だけじゃなくて、タピオカは今のブーム商品なので3年スパンで考えてもらうこととかですね。だから3年後新しいことをスタートするために、今何を考えていかないとアカンかっていうことや、今から3年後に向けてスタートしてるんですよっていう意識も教えています。ちなみに今オープンしてて、順調にいってる感じです。

  ───  YouTubeの発信について教えて下さい。

YouTubeって場所問わず、自分のこと発信できるし、仕事にもなるし、色んなメリットがあると思っていて。将来的には従業員の子らにもやってもらいたいんです。 でも自分の成長が会社の成長につながって、会社の成長が従業員の成長につながると思っているので、自分がまずYouTubeを取り入れて発信しているんです。

それと、僕話す事が好きなんで、アウトプットする場所としてYouTubeを使っています。僕自身、週1回はセミナーに行ったり、毎日色んな人と話したりとかで常に学ぶっていうことをやってるんですが、学んだことを発信することで自分の脳に残るなと思ってます。そして、もしそこで僕の話をいいなと思ってくれる人がいたら、それを有効活用してもらえたらなって。

  ───  最近の中で一番やってみて良かったっていう内容ありますか?

僕、昔から節約術が好きで。色んな節約術を昔から調べて、その話を人によくしとったんですね。で、家族や友達とかに教えたりしているうちに「そういうのをYouTubeで話してほしい」って言われて。 YouTubeにあげたら、それを見た人から「もっと詳しく保険のこと教えて欲しい」「クレジットカードについて教えて欲しい」っていうのを言われて。「良かったな」「いい影響を与えれたんかな」って思いましたね。

  ───  反応が良かったんですね。

そうなんです。他にも僕が「生命保険とかはしっかり入った方がいいですよ」「でも何でもかんでも入ればいいってもんではないですよ」っていう話してたら、詳しく教えてほしいっていう方から「誰か紹介して下さいよ」って言われて。「それじゃ知り合いの生命保険会社の人紹介しようか」ということで、その人にもつながったりとかしました。

  ───  知り合い方の仕事につながったんですね。

YouTubeの影響力ってすごいなって。

  ───  大きいですよね。他にはどんな発信をされてますか?

僕チャレンジが好きで、年に1回無人島にサバイバル行くんですよ。僕の中では毎年やってるので、ただただ楽しいってうのなんですけど。 こういったのを発信することで「こんな面白いことあるんや」「こんな面白いことやってんねや」っていうのをみんなに言ってもらえて。自分の趣味を発信したことによって、共感してくれる人がすごい増えたのが嬉しかったですね。 今は無人島のほかに和歌山の山奥で築100年の家を、DIYで直したりしてるんで、そういうのも発信していけたらいいなって思ってます。

  ───  趣味のレベルが違いますね(笑)

無人島に行くとか、山奥の古民家の改装とかは大学の時から、地道にやってるんです。

  ───  趣味も色々で多岐にわたりそうですね。

そうですね。色んなことが楽しくて。人生長いようで短いじゃないですか。どれだけ自分がやりたいと思ったことに行動できるかを人生において重要視しています。やってみたいなと思ったらまずはやってみるという。

  ───  やりたい事でパッと浮かぶのは?

めっちゃありますね。

  ───  例えば?

僕、将来の話なんですけど無人島買いたいなと思ってるんです。自分で41歳の時にするって決めていて。 無人島買って、そこから3年間で無人島にリゾート地を作って、それまでに船の運転とか調理とか、全てを自分でできるようになって、人生40年間でお世話になった人たちに、破格でふるまえるような場所を作りたいんですね。 これはウチのスタッフの子らもすごい賛成してくれてます。お世話になってきた親や昔の会社の上司や先輩とか色んな人に「何とか皆さんのおかげで恩返しできるようになりました」っていうことを自分でやってみたいなって。

  ───  ちなみに無人島っていくらくらいで買えるんですか?

ピンきりなんですけど、安かったら300万ぐらいからあって、高いと1000万超えてくるんですね。ただ僕リゾート地をやりたいので無人島を開発したいなと。 そうなってくると水道ガス電気ひいたりとか、資材の運び込みとかってなると、3億から5億ぐらいかかると見込んでるんですね。 だから僕39歳の時に、今の自分が作ってきた会社を引き継いでいって40歳の1年間は全国まわって出資募ろうと思っています。1年間で出資を募って、その資産でリゾート地を作るって考えています。

  ───  会社を引き渡すんですか?

はい。僕はフィットネス業と別で5個会社立ち上げようと思っているんですが、40歳で社長業を辞めようと決めていまして。

  ───  フィットネスのほかにあと5つっていうのは?

清掃と貿易、飲食、ホテルとかですね。ただフィットネス業を一番大きくしていこうと思っています。

  ───  全ての社長はやめてしまう?

やめます。社長は。

  ───  そこからはリゾートに専念する?

そうですね。僕よく、色々動いて経営とかしているから、お金を求めてるって思われるんですけど、あんまりそこにおっきな興味がないんです。それより会社を立ち上げて、会社を育てるのが楽しいんですね。 イメージは、若い子が社長をやって、その子が新しい発想をして作りあげていって、僕はそのフォローができればいいなと思っているんです。 僕は高い給料とかもとらずに、その子らが給料とってもらって、いい会社を世に残していけたらと。だから40歳からも質素な暮らしでいいかなと思っています。

  ───  これだけ会社あったら、売ったりしたら5億いくんじゃないですか?

売らないです。普通に引き継いで、引退ですね。

  ───  そして、0から資金を集めるんですね。

はい。今でも無人島出資してくれるっていう人チラホラいてくれてるんで、僕も何としてもやりきりたいんです。あ、あと、キャンプ場ってのも忘れてました。キャンプ場もやりたいと思っています。

  ───  リゾートと結びつく事業が多いんですね。

そうですね、ほとんどリゾートと結びつきますね。無人島に関しては高校の時からやろうと思っていました。

  ───  高校生から!? それではそのまま経歴を教えて頂いてもいいですか?

「一番学んだのは『自分ものすごい恵まれていた』こと」

~ スナフキンのように旅をする ~

小学校の時に急に「周りにあわしとったらあかんな」と思いましたね。小学校の時に「あんまり周りに馴染めないな」という所があって、違和感ずっとあったんです。 まあでも小学生だったんで「周りにあわさな」みたいなのがあって。その時に友達らとゲームをよくしとったんですけど、ゲームが楽しくなくて。でもみんなに合わせることに必死で。 「違うな」っていうのはずっとあったんですけどね。ある日、友達と遊ばんことを選んでから、一人で行動することが増えて、色んなことを考え出すようになりましたね

  ───  一人でいることは気にならなかったんですか?

最初一人になりだした頃は、寂しかったです。周りに「どう思われてるんやろ」とか考えて。でもそん時に、寂しい気持ちを消すため家にあるマンガを「今日は100冊読む」とか一人でやっとったんですよ。 「読み終わるまで家におる」っていうルールを自分一人で決めてやるっていう。そんな感じで小学校から中学校、高校にあがっていきましたね

  ───  ずっと一人?

でも彼女はいたんです。

  ───  何で?どうやって彼女できるんですか?

僕、学校ではみんなと普通にしゃべってるんです。ただ、放課後みんなと遊びに行くことに対して「楽しい」って思わないけど、行ってた自分に対して不満が出てきてたんですね。 「楽しくない所に行ってるんや」と思ったときに「俺何してるんや」ってなって。それから放課後は自分のやりたい事を探してやりたいことするっていう風に決めてやりだしたんですよね。

  ───  学校の中では友達と一緒にいるじゃないですか。そしたら放課後みんな遊ぶ約束するじゃないですか。でも「行かへん」って言うんですか?

そういう話が出たら、フェードアウトしていく(笑)

  ───  断るとかじゃなくて?

皆でしゃべってるんで、サッて抜けるって感じですね(笑)

  ───  学校では一人っていう感じではなかったんですね。

皆と仲良くはしてるんですけど「これ自分がホンマにやりたいんかな」っていつも思って、「ちゃうな」って思ったら断るって決めてたんです。だから部活とか入っとったんですけど、部活にみんなで集まるとかはあんまりでしたね。

  ───  だから学校で彼女もできるんですね。

で時間もあるので、彼女ができたら彼女とばっかりおるみたいな(笑) そこらへんから我が強くなってたかもしれなくて。「ホンマに自分が楽しいと思える子と、楽しい事でしか遊ばん」みたいな感じになりまして。

高校の時に父親の影響で単車を買ったんですね。それが面白くて。もう乗るのが好きすぎて、遊びに誘われても断っては一人でバイクに乗ってたんです。放課後なったら、みんなやっぱり「残ろうや」みたいな感じになるじゃないですか。 それでも僕普通に帰って、ひたすらバイクに乗るみたいな。で一人で毎晩バイクに乗って、どっか行くとかしてて。それを一人の友達が知って。「自分もバイク買ったから一緒に走りたい」って言って来てくれた子が、高校1年生で1番仲良くなった子ですね。その子は今でも仲いいんです。 そしたらその子つながりでどんどん友達ができていって、そこぐらいからですね。友達と遊ぶのがすごい楽しくなり始めたのが。

  ───  いいきっかけだったんですね。

そうですね。家族みたいな仲の友達がバッとできたんで。僕としてはその友達に感謝してます。僕が仲良くなるの遮っとったんで。それでも乗り越えてくれた感じやったんです。

  ───  なるほど。その初めに結びついた友達と、今までの学校だけ付き合ってた友達と感じが違いますか?

今までは、僕自分の話をしなかったんですよね。自分がどういうことしたいとか何も。彼女の愚痴も言わないとか。基本的に人の話を聞くだけだったんです。でもその仲良くなった子らには自分の話ができました。

  ───  それは嬉しいですね。

今でも何か新しいことやる時とかは、SNSに上げる前に、僕に関わってくれてる子ら全員先に連絡するんですね。連絡終えてからSNSに投稿してるんです。だから年々連絡する人が増えていって、忙しくはなるんですけど嬉しい感じですね。

  ───  いい話ですね。話を戻すと、それで単車に乗って…

高校生なんで、バイク手に入れたらむっちゃ飛ばしてたんです。仲良かったメンバーと走り屋とかに挑んだりとか(笑) そこら辺がすごい天狗になってたと思うんですね。 「もう全然負ける気がせえへん」とか思っとったんで。学校さぼって峠に練習とかしに行っとったんですけど、高2の終わりに車に突っ込んだんです。すごい勢いで。細い道で僕ようとばしてたみたいで。 僕一人で走り出して、友達らが追いかけてきたときには、僕吹っ飛んでいっとったんですね。で友達とか先輩とかが引きずり出してくれたんですけど。そん時の記憶ないんですよ。その前後3日間の記憶があいまいで。

で、眼覚めたら病院で、そっから3か月間動けないカラダになってました。そん時に「意外に死ぬんやな」っていうのを自覚したんですね。 今まで「死なへん」って思ってて「ビビッとったら男は終わりや」っていうのが自分の中であったんです。ビビッて「怖いな」って思ったら余計飛ばすみたいなことをしとったんですけど。 事故したときに右手しか動けへんし、口も開かへんからしゃべられへんし、脳の衝撃がひどくて、2時間起きてもまたすぐ寝てるみたいな状態が続いて。今までは今日と明日の事だけ考えとったんですけど「これはアカンな」と思い始めましたね。 それから3か月間「もっと色んなことをしていかな」ってなって、やりたいなと思ってたことも「治ったすぐやろ」って。その時から経営の事とか考え出しました。

  ───  何で経営にいったんですか?

元々高2ぐらいまで保育士になりたかったんです。子どもが好きなので保育所の先生は僕にとって天職やって勝手に思ってました。中学校の職業体験も保育園に行ってたんですね。 それで高校の時に保育士になるけど「海外に行ってみたい」とか「色んなことしてみたい」と母親に話してたら、母親から「保育士の給料じゃ、それ無理ちゃうか」って言われて。 なりたいなりたい言ってる割に、給料調べてなかったんですね。調べてみたら一人で住んで家賃考えたら「ホンマに無理かもしれんな」って思えてきて。ほんで半年ぐらい「どうしよ」って悩んだんですよ。 で悩んだ結果、逆転の発想で「辞めるくらいならもっといい方向に持っていこう」「保育園を建てる側にまわろう」と思ったんですね。保育士でやりたいことは子どもと遊びたいだけやったんで「じゃあ、保育園建てる側になって園長先生になったらより遊べるな」と。 でもただ「園長先生やりたいから保育園立ち上げました」ってなってもこれはすぐつぶれると思って。そしたら色んな経営を立ち上げて成り立たせて、60歳になった時に保育園を立てて、5年間園長先生やろうと。 そこから「経営どうしようかな」って経営を考え出したんです。なんで60才からの5年間は園長先生ですね。

  ───  それまでは無人島のリゾート地の経営?

そうですね。でもリゾート地の経営も40才からやりだして50才までって考えてますね。

  ───  残り10年は?

これはもう、めちゃあほな話になるんですけど。単車が好きなんで、バイクメーカーを作ろうかと思ってまして。学生時代から仲いい子がいるんですけど、その子に「NAKAGAWAっていう名前のバイクメーカー作るから手伝ってや」って。 でそれ「50歳くらいからやるから」って言うてるんです(笑)

  ───  なるほど。バイクメーカーの後に保育園を?

って考えてます(笑)

  ───  ちなみに保育園が終わったら?

死にます(笑)

  ───  早い(笑)今は120歳まで生きれるかもしれないじゃないですか。

そうなんですけど、僕の中で人生ってケツを決めないと動けないなって思うことがあって。100年120年あるからって考えると「そのうちやろう」っていう思考になってしまうんです。僕は「自分がフルに動けるのが僕の人生や」と思ってて。 そしたらノンストップでフルに動けるのって何歳ぐらいかなって考えたときに直感で65歳ぐらいかなって思ったんですね。なので自分の人生を65歳で死ぬと考えて、どれだけ動けるかっていうのを今考えながら動いています。 まあ65歳以上は生きるかもしれないんですけど、それ以降は考えないです。余ったお金で「孫にお年玉あげといたらいいな」ぐらいです。あと「空見といたらいいかな」と思ってます(笑)

  ───  悟れそうですね(笑)じゃあ保育園を立てる側にまわろうと思って…

「じゃあ経営しよう」ってなったんですけど、なかなか経営が思いつかなくて。このまま何も思いつかなかったら単純に好きやったんで「カフェやろう」ぐらいに思ってたんですね。

話は変わりますが、大学の時20歳の時に旅をしだしたんです。それは元々17歳の時、日本全国制覇したいと思ったことがあったからなんですね。 16歳の時に単車を手に入れてから、いつも全然地理がわからなかったんで、遠くの奈良に行きたかったら、奈良ナンバーの人を見つけてついて行くとか、和歌山の方に行きたいと思ったら、和歌山ナンバーの人について行くみたいな遊びを一人でやっとったんですね。 大分したら、そこら辺のコンビニに停まって店員さんに今の場所を地図で教えてもらってたんです。今みたいにスマホがなかったんで、コンビニのマップルあるじゃないですか。それで教えてもらって。そして帰ってくるっていう遊びを一人でやってたんですね。 そん時はまだ高校1年生やったんで、一人で30kmも走って他の県に走ってる自分を「すごい」と思っとったんですね。親とかに自慢して。「今日こんなとこまで行ってきて」って。帰ってきてパソコンでグーグルマップ見るのが楽しかったんです。

グーグルマップの一部分だけ見てると、端から端まで行ってるじゃないですか。それが楽しかったんですけど、ある日拡大拡小間違えてグンッと日本地図までのサイズになった時に、自分の移動してる距離が点やったんですね。 点にあれだけ満足してるのに、とてつもなく自分の小ささを感じさせられて。その時に「こんなことで満足してたらアカン」と思って、日本を制覇することに決めたんですね。 その後、地道に「今日は何県に行く」みたいなことをやってたんですけど。20歳になった時に「このままじゃ全然終わらんな」と。これは「何かをおっきいことをしな」となって、そのとき考えたのが旅やったんです。

僕アニメのキャラクターでスナフキンが好きなんですよ。ムーミンの。ムーミンのスナフキンって旅をして、外の世界で得た知識を帰ってきてはムーミン谷で話すじゃないですか。あんな人間になろうと思って。 だから「楽してお金持って旅出たらあかんな」ってなって。そこから野宿・自炊で四国1週して、帰ってきてそんな話を大学の友達にするっていう。21歳の時には「次は北海道行ったろう」と思って、夏休みの時にバイクで北海道1周したんです。 海沿いを走りながら、適当なところでテントはって火を起こして寝るみたいな感じですね。そん時は自分の中で「旅に出て外の世界に行くから、外の世界の人としゃべろう」と。 旅に出たときは目線のあった人には声をかけるっていうルールを決めてたんですね。そうすると毎日100人ぐらいに声かけるんですよ。そしたらそのうち20人くらいと仲良くなるんですね。

  ───  声かけるって例えば?旅でたまたま目が合ったら…

「こんにちは」「何してるんですか?」みたいな感じで。僕が寝てるところに人がパーッときたら、とりあえず声はかけるんです。それですごい全国に友達ができたんですね。四国1週して北海道1周して次東北の方まわって、その次にオーストラリアを回ったんですね。 で帰ってきて、今度九州を1周した21歳のときに、全県制覇を終えたんです。四国北海道はバイクで1周、東北は車で、九州の方はヒッチハイクで1周して。離島も回りながら行ってたんですけど。そんなんしているうちに、大学卒業するころには就職せんとこうと決めて。 卒業したら日本1周して海外出ようって。将来経営者になるのに、面白みも持ちたいし「自分のやりたい事やってから経営者なろう」って思ってたから、大学卒業して、全国の友達に「俺これから海外まわって、どっか修行して会社立ち上げるから」って言いに回ったんですね。

  ───  就職しないのは会社を立ち上げるために?

そうですね。それとオモロイ経験値を積んだろみたいな。大学2回の時ですかね。大手の会社に就職できるインターンに受かったんですけど、北海道1周する日とがっつりかぶっとって。 僕にとっては「就職するよりもこっちの方が大事やな」と思って、インターンを断らせてもらったんです。だから「就職のことは考えんとこう」と。そっからバイトしまくって、大学卒業する前に200万円貯めて、その200万円持って国内と海外を回ってたって感じです。

  ───  それはオモロイことをするっていうために色んな所を回っていた?

そうですね。オモロイことと、自分の知らないことを知りたいっていうのがあって。自分の知らないことが多すぎるなと。そのためには「知らん世界に行って知らん人と話すのが一番早い」と思って。

  ───  知らないことってどんなことがありました?

知らないことだらけでしたね。外国に行く方法とかも知らなかったんで。ほぼ海外に行ったこともなかったんですよ。でそこの国の人がどういう思考を持ってるか知りたいから英語も学びに行って「しゃべれるようになれば色々教えてもらえるようになるな」と思って。 海外行って外人にも目が合ったら声をかけてたんですけど。みんな、意外に仲良くしてくれたりとか、家泊めてくれたりするんですね。外国でも基本は野宿の自炊って感じでしたね。外出て一番思ったのは「ものすごい自分恵まれていた」っていうことです。 実家にいたら雨が降っても屋根があるし、風が吹いても壁があるじゃないですか。寒くてもエアコンあるし疲れて家帰ってきたら、親が飯作ってくれてるし。家に寝る場所がない事ってないじゃないですか。 海外で寝てたら、寝てる時に強盗にあったりとか警察につかまったりとかそんなんもあったので。日本で実家におれば何でも整ういい環境やったんやなていうのがよりわかったんで。一番学んだのはそこかな。

  ───  海外を回りつくして旅は終わったんですか?

一応、僕の中で3年って決めてたんですよ。22歳に卒業して「25歳までに何かを見つけなな」と。それまで行けるまで国を回ったろうと。結局10か国ですかね。一番最後にモンゴルをあてがってたんですね。 海外まわる流れで一番大きいことをしたろうと、それがモンゴルなんです。その前にシンガポールからタイまで陸路で行ってたんですね。そん時に旅の区切りとして、色んなこと見つけて「強い人間になったろう」と思っていたんですよ。 海外でも色んなことを学びながら過酷なことを乗り越えれば「日本返ってきても大丈夫だろう」と、「何でもできるようになってるだろう」と。でも思ってた以上に海外まわるのが言葉話せたんで簡単やったんですね。 アッサリどんどん「国境超えていけるな」と思ったときに、「こんだけ強くなってたら十分やな」と思って。タイまで行ったときに「これで海外回らんでもいいなって」なったんですね。

そこから最後にモンゴルは面白いことしようと最後に置いてたんで、タイ終わったら一回日本戻って、日本経由でモンゴルに行ったんです。僕スナフキンに憧れてるじゃないですか。 スナフキンのワンシーンで馬を連れながら星空の元、大草原の中で野営して火を起こしてるシーンがあって。「いつかこれ再現したろう」というのが自分の中にあって。 それを再現しにモンゴルに行って馬を買って、テントたてて火を起こして野営して。で、星空を見て大満足したんで「めちゃめちゃ日本で働こう」と思って帰って来たんですよ。

「ちょっとでも間あけたら負けやと思ってすぐ言いました。『願ったり叶ったりです』って」

~ 経営者の師匠との出会い ~

  ───  で日本に戻ってくると。

日本に戻ってきて、自分会社経営しようと思っているんで「一般企業に普通に入っても僕はアカンな」と思って、すごい厳しい会社を探したんですね。そこの会社で成り上がれて成績出せると「ぼくは経営やっていけるやろ」と。 自分の中の判断基準として3年間でしっかり成績を出すって決めてたんで。「厳しい会社紹介して」って色んな人に言いに行ってたんですね。でもあんまりそんな思ってるような会社がなくて。 そんな会社を探し回ってたら1社父親に「厳しい会社あるで」って話になって。父親がその会社の会長と知り合いやったので紹介してもらったんです。そしてこの時点で、トレーニングジムやるとも決まってたんですね。

  ───  それはいつから決まってたんですか?

これね、大学3回か4回の時には決まってたんですね。オーストラリアに行ったじゃないですか。行く前に「外人大きいから軽く鍛えていこう」と思って鍛えてから海外に行ったんですけど、軽く鍛えてるだけじゃ何の勝ち目もないぐらいでかかったんですよ、外人が。 身長も僕よりおっきいし、ガタイもいいし。なおかつ物を盗もうとした外人もめっちゃおっきかったんですよ。このままじゃ「大学卒業してからの海外が危険すぎる」ってなって。そのときお世話になってたピザ屋のバイト先のオーナーが通ってるキックボクシングに僕も通いだしたんですね。 そこでずっとやってると強くなっていったんですよ。自分の命を守るために始めたので。「妥協は許されへん」と思ってめっちゃ頑張ってたんです。そしたら体重差に悩むようになって。どんだけ強くなっても、お互い強かったら体重差で勝てないんですよね。

「僕のパンチがきかへんねや」ってなったときにボディメイクに目覚めたんですよ。僕元々身長180cmの58kgやったんですよ。そっから肉体改造してピーク88㎏まで持っていってるんですね。その時に、トレーニングの知識と自分の身体をインスタグラムに配信してたんです。 それ配信しとったら、色んな所から「それ教えて下さい」とか「こういう時どうしたらいいですか」とかコメントが来るようになって。そん時に「知識ってすごい求められてるんやな」ってなって。 「何で求められてるんやろ」ってすごい考えたんですね。そしたらふと「世の中が筋トレに対して思考が変わっていってるんじゃないか」って思ったんです。

元々はエグザエルがマッチョっていうイメージやったんですけど、ある日からエグザイルが細マッチョっていう枠に入ったんですね。「何でやろ」って考えとったら、インスタグラムで海外のハリウッドスターの身体が、しょっちゅう流れてくるのが当たり前になってきたんですね。 エグザイルさんがマッチョから細マッチョに下がったっていうことは、世の中外国のマッチョの方に目がいってんねんなと思って。 なおかつ、僕はそれなりに筋トレの知識を持ってたので「その知識を求めている人が世の中におるんやな」っていうことを考えたときに「数年後にフィットネスブーム来るな」って思ったんですよ。 で、それを当時の友達らに「絶対数年後フィットネスブームが来て鍛えるのが当たり前になるから、俺はそこらへんで波に乗るわ」って話してて。

  ───  それが何年前の話ですか?

大学の時なんで7年前ですね。

  ───  まだパーソナルジムとかない時ですね

ないですね。丁度、これから清掃業を任せようと思ってる子にその話をしとったんですよ。その子は僕の家に来て、当時買ったちっちゃいマシンで筋トレしとったんですけど「絶対来るから」って言うてて。 なおかつ知識を求めてる層が多いと思ってたんで。僕は知識求めてる人が来て、知識あるトレーナーが教える環境を作るために「ジムをやろう」と考えてたんです。

じゃあジムって決まってたからこそ、何か行動しようと考えていて。海外とか行きながらも「どういうジムにしようか」とか計画案だけ考えてたんです。その時には今のスタッフの子らには声かけてたんですね。 「俺ジムやるから」って。その子らは僕と一緒にキックボクシング行ってたりしていたんですが、僕よりも先に筋トレをやってる子らやったんですね。「この子ら時代の波に乗ってるなあ」と思って。 この子ら別にフィットネスブームが来るからとかじゃなく、ただただやってたんで、「ホンマに好きな子やな」と思ってて。「将来俺ジムやるからトレーナーやってな」っていう感じで言ってたんですよ。

  ───  そこからのつながりんですか?

そうです、そうです。その子らとももう7年経つんですね。

  ───  会社に話を戻すと

僕フィットネス業は今後やっていくから「フィットネス会社には就職せんとこう」と思ったんですよ。ただただフィットネス会社に入って、フィットネス事業立ち上げたら「他の人と同じことしか思いつけへんやろな」と思って。 じゃあ「一番面白いトレーニングジム立ち上げよう」と思って「どうしようかな」って考えたときに、一番フィットネス業から真逆のところに就職しようと決めてたんですね。 一番フィットネスから遠くて、厳しい会社が僕の中では一番求めてたところだったんです。で入ったのが老舗の150年ぐらいやってるお茶屋の営業職やったんですね。 お茶屋っていうので真逆やし、僕は立ち上げようとしているので、老舗も真逆やと思ったんですね。でも150年残るには150年残る理由があるじゃないですか。僕はそれが欲しいと思ったんです。 将来、会社を引き渡していくときに150年残る方法をつぎ込んでいくのが「みんなにとってもいいな」と思うので。そこで父親に紹介してもらって行ったんです。

そこの経営者の会長に会わせてもらって。就職させてくださいっていう話に行ったら「お前父親から聞いたけど自分で経営したいらしいやんけ」「経営したいってことは将来ウチ辞めるつもりやろ」って言われて。 で、ここで隠しても意味ないなと思って「はいそうです。修行のために入れて下さい」ってそのまま言ったんですね。そしたら「何年でやめんねん」って。 「3年でやめるつもりです」って言ったら「3年でやめるって言われたら、お前が1人前になる段階でやめられたら会社としてはマイナスでしかないから雇われへん」って言われたんですよ。 でも理にかないすぎて「そらそうやな」って思ったんですよ(笑) 僕が経営者でもそういうやろなって思ったんです。それでも「雇ってください」って言ったんです。そしたら「お前のやりたい経営っていうのを一回持ってこい」って言われて。 「お前のこと雇われへんけど、どんな経営したいのかみたるわ」って。で、これ「チャンスやな」と思って自分で旅しながら練り上げていたものを紙に書きだして、それを持って後日また行って「こういうフィットネス事業やりたい」って言ったら「お前フィットネスって。 うち何屋かわかってるか?」って。「はい、老舗のお茶屋です」って言ったら。「じゃあなんでうちやねん」って言われて。がっつり経営やってる人に「いや、僕フィットネス行きたいから真逆に行きたいんですよ」とかわけわからん事言われへんなと思って。 「いやあ、あの、ここで働きたいんです」の一点張りで言い続けたんですね。「あほちゃうか」とか言われてもうて。「いや、ホント働きたくて」とか言っとったら「じゃあ一回経営計画見せてみろ」って言われて。 紙を見せたら、その人が経営者として長けてて、僕の経営で良くない所を全部教えてくれたんですね。そん時に「この人経営者としての視点がすごいな」と思って。

僕それまでに色んな経営者に会いに行ってたんですね。でもその中でもこの人すごいなってなって。老舗のお茶屋で、なおかつ僕が求める条件にあってる上に、トップの経営者ってこんなに頭キレるって。 僕今でも尊敬していて経営者の師匠とおいてるんですけど「この人の経営のノウハウを盗みたい」と思ったんですよ。この人の横にいれば絶対に学べると思ったので「何としても入ろう」と思って。 まあこの時、結局断られて帰らされて、それから4,5回目ぐらいですかね。また話させてくださいって行ったところに、その人が「お前なぁ、一回考えるわ」って言ってくれて。 後日電話かかってきて「お前ホンマにウチで働く気か」ってなって「俺の下で働くっていうのは休みはないし、給料は上がらへんし、年末年始お盆ゴールデンウィークなんてはなからない」っていう電話がかかってきたんですね。 そん時に、ちょっとでも間をあけたら負けやと思って「願ったり叶ったりです」って言って(笑)

  ───  意味わからないですね(笑)

「もう、そういうの求めてました!」ぐらいで言ったんですよ。そしたら「今工場が人足りてへんから奈良に行け」って言われて。そっから僕毎日奈良に通って。で次はここで人が足りてへんからここに行けっていう感じに、人が足りてへんところに行かせてもらって。 その時に仕事したら「どうや?」って聞かれて、「こういうことをしました」って言ったら「お前はなんでここに気づかへんねん」「ここに気づかへんからみんなアカンのやろ」「お前は経営者になろうとしてるのになんで気づかへんねん」って入社1年目からものすご怒られて。 ちょっとでも仕事が遅いとか、そのレスポンスが1日でも遅かったりしたら、めちゃくちゃ怒られるみたいな1年間だったんですね。今思えば会長は僕を経営者になる目線で言うてくれてたんですね。そこでものすごい勉強になって。 平日は営業職をしながら、それが終わった合間で会長と社長のお手伝いさせてもらって。休みの日も会長に呼んでもらったらお手伝いさせてもらうの繰り返しになって。 横につかせてもらって、会長と人がしゃべるのを見て、メモとったりさせてもらってましたね。

その時、会長に怒られた言葉とか、理由がすぐ分からないんですね。僕のレベルが低いんで。それが分かるまで、会長に怒られてわからんリストを作ってましたね。 自分の手帳に、怒られた日に怒られた内容を全部書くということをしてて、それが分かったら消すみたいな。それが僕にとっては勉強用の本になりました。そんなんで3年間そこで働かせてもらってたんですね。

そこで2年たったころですね。営業で成績も出せてて、仕事も色々自分でできてたんで、自由なポジションに置かせてもらってたんですよ。 そんな時、偶然ある会社の社長とジムで出会って「スペースあるからうちジムに使っていいよ」って話になったんです。 すぐ会社立ち上げたかったんですけど、働いていた会社の先輩とか社長とか顧問とかすごいお世話になってたんで、そこでも役に立ちたいなっていうのがあったんです。 なので両方叶えたいなっていうので、会長に頼みに行きました。「絶対この会社には迷惑かけないから、会社立ち上げさせて下さい」って。 で今の従業員の子に入ってもらって、会社やりながらジムをスタートさせたっていう感じです。

  ───  ようやく話が今に帰ってきましたね(笑)

長旅でしたね(笑)でも、もう少し話は続くんですが、僕がこの会社を卒業する時に会長に呼び出されて、事務所に行ったんです。そしたら僕が入社前に会長に提出した事業計画を持って会長が来たんですね。 「3年前にお前を雇うと決めた時、いつか卒業する時はこれをもう一回見て話そうと思って持ってたんや」って言いながら僕の手書きの事業計画を持って来てくれたんですよ。本当に嬉しかったですね。 いつまでたっても、追いつきたくても追いつけない存在だなと思いました。 会長が生きてる間に経営者として追い越したいなと思ってますね(笑)

  ───  いい関係ですね。

それに、今でもその会社の人達が仲良くしてくれるんです。その時の先輩らがご飯連れていってくれたりとか、仕事帰りに会社寄ったりとかして。 僕最初厳しい企業と思って入ったんですけど、今出てみたらめちゃくちゃいい会社でしたね。いい人間が集まってる会社やなって本当に思いますね。社会の修行をしたいならここの会社に入れ!と思いますね。

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